形式的レビュー記述

今日の最後は仕事の話。
先日発表されたTuring Award、受賞者や研究者は悪くないですけども、技術内容などロクに知りもせず、業界の流行に浮かれてケンショーだキノーアン(略)と騒ぐ上司をお持ちの部下の皆さんには、本当に痛ましい事件でしたね(笑)。デスノートがガキに悪影響で規制なら、ケンショーだってオヤジ(略)。「死人が出てからではおそい」のはどっちも同じだよ。なんてな。ははは。
さて本題。最近、そのテの勉強をしてきたけれども、ゲンヴァは経験がない子と仕事をする機会がちょくちょくある。でまあ、そういうモデルの話に詳しいのはよくわかったから、まず今回は、普通にUMLやらDFDを使って、普通にソフトウェアを設計してみデヴォン、レビューしてやるでキャンベル、と言い、それに、がっつがっつとダメ出しをした(笑)。
ダメ出しは設計内容や歩き方の矯正(笑)だけじゃなくて、よく初心者がやりがちな、レビューされている最中にかっとなって反論したり、感情的な言い訳をしたところにも入れる。現実というものを知る、あるいは建設的な議論というものを知るための、最初の試練ですな。わはは。
それがいったん終了した先日。まあ、内容はまあまあ(笑)だったが、試練にはよくついて来た。随分裏で自習もしたようだ。その最後のKPTで彼は、自分の成果への批判と自分自身への批判は全く違うことがよく理解できた、ケンショーギジツも大事ですが、レビューだってすごく大事だと思います、と元気よく感想を言い、そのままTry項へ

もっと、形式的なレビューを心がける

って書いた。ので、ずっこけた。他の(そのスジじゃない)メンバーは当然きょとんとしている。
彼はformalなレビューと言いたかったの。権威の人が出るとか、マネージャが出てショーニンとかじゃなくて("formal review"だとそういう意味が出る)、合理的なレビューを、各人が感情的にならずに進めるよう心がけたいと。
...でもなオマエ、確かにformal methodの訳が「形式」手法では、ある。けど、そういうスジじゃない一般人はこの「形式的」を普通、「かたちだけの、うわべだけの」って意味にしか取らないでしょうに(苦笑)。現場でやってみて、KPTやレビューのように人間中心でやる活動も、ケンショーと同じくらい重要だとわかった、と言うんなら、ジソーロンリと同じくらい「名前重要」も大事だ、と思おうよ。
...それにしても、しっかし、これをよりによって「レビュー」の前につけて誤解を生むか。ラストのラストに、台無しだなオマエ(大笑)、と、振り返りのマナーを力一杯破ったプロジェクト最後のダメ出しをして、おしまい。真っ赤になって「すいません、すいません」と言うのを周りが笑いながら慰めたりして、その後、打ち上げやることになったらしいよ(笑)。
こういうケーシキテキなやつ、以前にも数人会った事があるなあ。