やられた

今年も残すところ、あと17冊(現在83冊)となりました。だいぶん年の瀬です。...いや、100冊越えても読みゃいいんだがな。

絶望の書・ですペら (講談社文芸文庫)

絶望の書・ですペら (講談社文芸文庫)

読み始めた最初、正直言うと苦笑していた。あっちゃー地雷踏んだなこりゃ。あーでもない、こーでもない、うっじうじ、うっじうじとまあ。「私は早熟な子供で」っつーのはな、モラトリアムなバカほどよく言うんだよ。こいつはダダをやるそうだが、どの時代にもどぎつそうなものを出して「我々は何にも縛られない」って謳うヤツはいるもんだなあ。安酒買う金もねえくせによ。
その割にそういうヤツに特有の鼻につく自慢口調や「ボクを見て!!」ってな青臭さはねえな。心情吐露も、ちゃんと情けないところを書きつつ、さらっとしてるし、うまい。それにしても、ダダっつーより単なる駄洒落だねえ...と思い始めたのが「ふもれすく」の半ば。やっと、その行き戻る話題もうじうじも酒もダダも駄洒落も全部あわせたひとつの芸なのだと気がついた。慌てて最初から読み直し、ああやっぱりそうだったのかと、己の石頭っぷりにがっかりした(笑)。野暮のついでに挙げると、要するに、

毎日、ねながら、自分はタバコばかり吹かしていた。
ねてばかりいるのだ。そうしてねてばかりいるのだ。ねてばかりいて、タバコばかり吹かしているのだ。
ねてばかりいて、タバコばかり吹かしていて、少しも退屈をかんじないのである。
退屈を感じないからねてばかりいるのだ。ねてばかりいて、退屈をかんじないからタバコばかり吹かしているのだ。
吹かしているのはタバコである。かんじないのは退屈である。だからねてばかりいるのだ。


(ものろぎや・そりてえる)



を、モラトリアム人間がちょっと弄った軽薄な愚痴と取るか、芸のネタと取るかっつー話。ネタと言っても、ここは竹中直人の「笑いながら怒る人」みたいなネタで、(おそらく)事実も混じってるんだがね。これだけしつこく書いてるんだし普通後者ですよね。前者ありえないっすよね。すいません。それにしても、こりゃあ面白い人を教えてもらった。ありがとうございます。
青空文庫にもあるよと教えてもらったのだが、テキストファイルは100冊かというくだらない事で悩んでいるうちに図書館で見つけた。ちょうどよかったのかもしれない。ひとつだけ読んでたら、どんくさいオイラには面白さが全然わからなかったろうから(苦笑)。