手習いLinux

今年の初めあたりから、PC設定のお手伝いをしてくれている子にLinuxサーバ管理のお勉強を始めてもらったんですわ。LPIという資格があるから、これを身につけてもらいましょう、と。本人はWindowsクライアントべったりで今までやってきてて、別にLinuxには興味がなかったんだけど、まあ資格にもなるし、業務時間中に勉強していいし、と、まあ普通なノリで。
そして半年、「lsっていうのはー、dirみたいのでー、」って所からやって来て、今はLPIの201カーネルにパッチあてて入れ替えてファイルシステムやらデバイスを設定してNFSやXやSamba、apacheをパッケージインストールして設定してログ見ながらメンテして、viでsh/sed/awk/perlを使った自前スクリプト書いてちょっと便利にcron自動化、くらいは出来る様になった。クライアントを作るくらいなら、まあ、いっぱしだ。本人もだいぶ面白くなってきたようで、自分でソース取って来てRPMにしてインストールなんて事もやっているらしい。よろしいよろしい。/var/logの下が自分(非rootアカウント)から見えないと言って、/var直下でchmod 777 -Rをしてたアナタはもう居ない。あの頃のやんちゃなスリーセブンはもう居ないのよ(夜空の星を見て)。


で。
だ。
手習いって、ほんと重要だなあ、と。


よろしいデーガクでアイテーをソツギョーされたゴリッパ(イタリア語)さんでも、上記のような事ができないヤツはいっぱい居る。この子が勉強を始めた当初は実際、「いいねえ、こんなことまで丁寧に教えてもらえて」だの、「さいとうがオレオレ知ってるぜと威張りたいだけだろ」だの。だがそれを無視してここまで来たら、そういうのが今度は「あー、そろそろ、俺の領域かな」とかなんとか横槍を入れてくる。聴講だけしてみようとかなんとかトカナントカ(ロシア語)。そしてその「いっぱし」レベルについて行けず退散する。201の試験内容を見てもらえばわかるが、まだまだいっぱし程度なんだがねえ。
デーガクで授業を受けたか、講座内のちんけサーバをなんちゃってメンテしてて、それっきり、程度の知識が敵うかよ。基礎は変わらないにしろ、何をするにも使用するソフトウェアから構成からだいぶ変わっている。こういう作業を楽に進めるには、そういう流れに追随したもん勝ちだ。ぶっちゃけ、分からない所の相談に乗るオイラも辛いくらいだ(苦笑)。予習してるんですよ俺も。
しかも、PC設定のお手伝いってのは面倒な仕事である。オレオレ設定バリバリの臭いタクでもWindowsのバージョンすらわからんオヤジでも、相談されたらすぐ行かないといかん。その細切れにされた時間だって半年勉強すりゃあ、いっぱしには成れる。ってことなんだけども、そのゴリッパはソツギョー以来そんなに手習いの時間が取れないもんなのかね。講義ったって、自習してわからなかった所を教えるのと宿題を渡すだけを週1回1時間弱取っているだけだのに。
勉強が大事だってのは昔から言われているけれど、確かにガクレキよりもコネクシオンよりもカタガキよりも、手習いは大事だわ。俺は客先でデモするためのRedhatをノートPCにインストールできず、チェンジ食らって置いてかれた主任を知っている。本来の仕事ってのが色々あるとしたって、ああはなりたくねえな。包丁も研げねえ料理人にはなりたくねえ。そのコネにしても、他者理解の勉強と今までに勉強した技術や知識の裏付けなしじゃ、なあなあの寄り合いかオレオレな見栄の先物取引になるしかねえもんね。ムラ野郎とオレオレ野郎はツブしたくなるくらい嫌いだから、やっぱり俺には手習いが重要なんだな。